全米を揺るがした実在の劇場型連続殺人犯を題材にしたノンフィクション小説を映画化した作品。このゾディアックと名乗る人物は『ダーティ・ハリー』の偏執狂的な犯人・スコルピオの元ネタでもあります。未解決事件なのでオチが弱くなる事も重々承知してましたが、監督が『セブン』のデヴィッド・フィンチャーとなれば否が応でも期待しようもの。ましてやサイコ・サスペンス系を思わせる妙に出来のいい予告編付きだったし。でも、「待て、あわてるな。これは孔明の罠だ。」ということで・・・。
マピールさんが劇場で観たときは始終睡魔との闘いとなり、劇中の記者や刑事さんより早く「犯人の正体なんてどーでもいい」気分に。最後の30分は意外に盛り上がったもののそこに到るまでの展開が淡白で退屈なのでした。サスペンスでもミステリーでもないのは残念ですが、事件に魅入られた男たちを描くヒューマン・ドラマというのも一興なので否定しません。でも、あまりにも観客を引き付けるキャラクター性に乏しいのです。メインの漫画家・記者・刑事とも人生が滅茶苦茶になっていくわけですが、しっかりとした人物描写と見事な演技だからこそ、その遊びの無さに腹にもたれます。リアルすぎて群像劇としての面白味も感じません。しかも、登場人物自体は多くその整理が忙しいときます。事件の予備知識がないとかなり厳しいです。
そして、犯人像に魅力が無い事も話を盛り下げます。出来事が羅列されるだけで知性や狂気を感じさせる演出は乏しく妄想は膨らみません。これは、犯人が望んでいた「事件の映画化」を実現させるに当たり美化を避けたせいなんだと思いますが、謎の事件としての興味を大きく削ぐ結果に。事実なのかもしれませんが、容疑者の首実験が終盤まで行われないなど腑に落ちない展開の数々も足を引っ張ります。なんだか完全犯罪には程遠い事件を無能な刑事と趣味の探偵が追った挙句の迷宮入りみたいなのです。
そんな訳で、初見では何を見せたいのかわからないモヤモヤ感がつのるばかりだったんですが、DVDで再観賞するにあたり「なにゆえに未解決に終わったのか?」という視点で見たらそこそこしっくりきました。あと、キャラ的に最も目立っている遊軍記者(ロバート・ダウニー・Jr)を中心に観てしまいがちですがマーク・ラファロ扮する市警の刑事を追った方が理解はスムーズです。一応の主人公である漫画家(ジェイク・ギレンホール)は古典的探偵小説ばりに終盤をまとめるだけで殆んどは蚊帳の外ですし。
頭の中を整理してから観賞するとかなり味わいが違うようで若干評価を改めました。独特の刺激的な映像センスで知られるフィンチャー監督らしからぬ演出や映像に頼らない地味な映画にがっかりだったのですが、その後『ダーティ・ハリー』を観なおした事で実は当時のアメリカ社会を細かいところまで作りこみ再現しているのがわかりました。漫画家私見とはいえ生半可に結論付けるなら動機にまで踏み込めと思っていた終盤も、この消化不良な感じがフィンチャーらしくていいと思えます。嗚呼、これでドラマ性がもっと高ければ。
連ドラとかであまり見かけない気がするTOKIOの国分太一が主演でありながら妙に評判が良い本作。なるほど、意外な佳作であります。コミュニケーションが不器用な人達と江戸落語を絡め綺麗に纏めた成長もので、前座よりちょい上で行き詰ってる若い噺家がひょんな事から素人に落語指南と相成って・・・という筋立て。粗は色々あるものの、「しゃべる事と伝える事」というメイン・テーマがしっかり描かれ、東京・下町の風情溢れじんわり心温まる古き良き日本映画に手堅く仕上がっています。
話し方教室を開くハメになったのは、古典一本槍でいつも着流しと落語愛の塊だけど無個性で真打昇進には程遠い男。3人の生徒は、容姿は良いが会話が苦手で無愛想な女、口達者だけどプライドが高くクラスに馴染めない少年、見る目は確かなのに口下手な野球解説者とキャラ配置が極端で面白いです。ただ、松重豊扮する解説者のエピソードが中途半端なのがちょっと惜しく、ここをしっかりやれてないので恋愛物語と成長物語のバランスが崩れラストが取って付けた様な大団円に。恋愛要素は原作小説の通りなのかも知れませんが、そこまでテンポ良く淡々と進む日常を描いて来ただけにサラッと匂わす程度で終わって欲しかった所です。
脚本がアニメ『時をかける少女』の奥寺佐渡子という事で、小気味良い会話と台詞や独白に頼らない繊細な心理描写は健在。『まんじゅうこわい』と『火焔太鼓』という演目をダイジェストで観客に伝え、かつ、それを登場人物たちの成長に活用していく構成も上手いです。それと、特に劇的な事件も泣かせ所も無い中で必死になにかを伝えようとするもどかしさが際立っているのが印象深かったです。
そして、絶妙なキャスティング。国分太一のよく通る声と雰囲気作りはジャニーズ系とあなどれない出来。空回りしてる感じが上手いというか、あれはスポーツ番組のキャスターやってる時の太一君ですね。右手で本来の利き手よりも綺麗に蕎麦を手繰ってたのも印象的でした。で、終盤には編集の妙と済ますには見事な落語も披露。客寄せパンダではなく、しっかり主役はってます。ヒロインの香里奈って娘は『海猿』で見かけたぐらいしか知らないんですが、殆んど全篇で睨みっ放しという美形の女優が請けにくい仕事をよく頑張ってくれました。
本作では本職の落語家が脇を固めるのではなく役者さんに挑戦してもらってるのがミソで、噺家というよりボードビリアン的な伊東四朗や、下町のババアではなく山の手のお婆様的な八千草薫の芸達者振りが楽しいです。特に子役の森永悠希がみせる故・桂枝雀師匠の口調を真似た上方落語が素晴らしい。設定の都合で話し下手な人ばかりの中、要所要所を締める自然な演技も光ってました。
全ての物語が綿密に繋がってすっかり年1回更新の連続猟奇ドラマになってる本シリーズ。回を重ねるにつれ着実に凡作化しているものの作中の連続殺人鬼ジグソウ同様にしぶとくてなかなか見限れない水準を保ち続けてます。ただ、過去3作で主要人物の殆んどがお亡くなりになった為、誰も覚えてないような脇役にスポットが当たってるような状態でして、もはや一見さんお断りは無論の事で記憶のあやふやな普通の観客にも敷居は高く、設定を事細かに把握してるマニア向けの作品となってます。しかし、マニア的には謎解きに対する驚きが薄まって物足りないでしょう。特に犯人探しの視点で観てると簡単すぎて拍子抜け必至。冒頭のメッセージの意味が劇的に変わる大オチだけは見事ですがね。
シリーズを2作目から担当してきたダーレン・リン・バウズマン監督は心理サスペンス派の非難を他所にスラッシャー描写をエスカレートさせる方向に突き進んでおり、詳細に見せる必要の全く無い解剖シーンや凝った殺人ギミックをたっぷりと用意。でも、インパクト重視の状況設定ばかりでパズルの正答に頭を捻るような面白みは失われています。
本作はジグソウ・ビキニング的な、おじさんが何故こんな手の込んだ事をやってるのかを延々と説明する趣向でして、「自分で自分を救わなければならない」という主張がなかなかのヒューマンドラマで語られます。まあ、不幸な過去や立派な哲学を並べてもやってる事はアレなんですが。
んで、前作での謎のいくつかには解答が示されましたが、未回収な伏線もわんさか増えあまりスッキリとはいきません。実は1本丸々使った壮大な予告編ですからね、今回は。
色々とダメな点があるんですが、バウズマン監督作で一貫して問題なのはプレイヤー達の頭が悪くてどうにイライラすることですね。特に今回は「迂闊な奴」という設定なので対処法がどんなに間抜けでもエクスキューズが成り立ってしまいます。また、謎が謎を呼び次回に繋げる技術には優れてるんですが、複雑で緻密なゲームを仕込んだ結果、展開が偶然に頼りすぎる傾向にあるのも困りもの。今回も途中で失敗したらシナリオが台無しになるようなゲームに挑ませちゃってます。知的な論理パズルとシンプルなシチュエーションでファンの心を鷲掴みにした1作目と真逆なんですよねぇ。
あと、今回は観客の混乱狙いの編集が露骨すぎて萎え。スモークやフラッシュでよく見えない中で披露される手品なんて何の価値もないです。全て見ていたつもりがいつの間にか騙されているってのがシリーズの醍醐味だったのに。
とはいえ、後乗せサクサクで辻褄合わせに奔走するスタッフには頭が下がりますね。「医者がチームにいる」という疑念に対し根強く噂される1作目のあの人以外の可能性を提示したり芸が細かい。豚が干支(日本だと猪)由来だったなんてのも絶対後付でしょう。
DVDチェックの結果、ジグソウの死から解剖までの期間が長過ぎるなど妙な点も発見されましたし、なんやかや言っても最後まで付き合う所存。次回こそはプレイヤーに覚悟を要求するタイプの絶望感溢れる謎解きを願いつつ。
一年近く前に英SFX誌の
「世界のベストSF映画ランキング」で並み居る名作を抑えて1位を獲得していた謎の日本未公開映画を今頃観賞。予想通り、数多の特別な作品達と並べてしまうと見劣りするのですがそれはそれとして普通におもろい。
本作は1シーズンもたずに14話で打ち切りになったテレビシリーズ『Firefly』を、熱狂的なファンの声とクリエーターの意地で劇場版に漕ぎ着けた作品だそうで、日本でも偶にそんな事がありますな。そして、この劇場版が今度は何故か英国で大ブレイクしたのであります。まあ、馬鹿そうで実はシニカルという、いかにも英国人好みのスタイルではありますが。
そんな事情なのでメインキャストや設定が微妙に説明不足なのは否めませんが知らなくてもちゃんと楽しめました。時間軸はTV版の少し後の模様。
海賊まがいの運び屋をやってるFirefly級宇宙船「セレニティ号」のクルー達は、義勇軍あがりのハン・ソロ風ならず者船長に率いられた訳有りっぽい面々でありまして、ヤバイ積荷にゃ抱えきれない程の陰謀というお定まりのSFアドベンチャーなのであります。しかも、スペースオペラ+西部劇+ゾンビ映画+カンフーアクションというB級ジャンル特盛り状態。特に目新しさは感じないものの、ユーモアの効いた個性的キャラ達と低予算の割に頑張ってる映像にはTV版も観てみたくなる魅力がありました。
ただ構成はヘボ。序盤でもう少し船内の日常風景や人間関係を丁寧に描写してくれてれば予備知識無しでもスムーズに入れたと思うんですが、状況を把握しないうちにバタバタと展開してしまうので落ち着くまでが大変でした。それに、船長やクルー達のドラマが薄っぺらく彼らが命懸けで戦う説得力が乏しかったり、テレビドラマ的ぶつ切りの多用でリズムを悪くしたりと映画化に伴う粗さが目立ちました。冒頭のシークエンスで普通の映画なら中盤に持ってくるべきネタバレをふんだんに盛り込んでるのも、どうやらシリーズ見てれば自明だからみたいです。あの逃亡兄妹は映画ゲストじゃなくレギュラーで、彼らを匿いつつ物語は進行し伏線だらけのまま終了を迎えた模様。
それはさておき、ソマー・グラウ嬢の柔らかく滑らかでリズムのあるアクションだけでこの作品を観る価値はあると思いました。主役格の船長を差し置いて
宣伝ポスターで最も目立ってるのは伊達じゃないです。最近の彼女はTVシリーズの
『ターミネーター:サラ・コナー・クロニクルズ』で ジョン・コナーを守る高校生ターミネーターを演じているようでコッチも気になりますね。
歴史スペクタクルを想像していましたが、これは漫画チックな誇張の数々を愉しむエンタテイメント作品、ぶっちゃけてしまえばバカ映画ですね。序盤が変に真面目に造ってあるもんだから一瞬騙されました。よく考えたら国民皆兵の重装歩兵で知られるスパルタ軍がマンホールの蓋持った半裸のガチムチ集団って時点で時代考証もクソも無いわけで。裸マントのマッチョ戦士がガッツでがっつんがっつんのバトル自体が目的の人向け。
とにかくスパルタ兵の出鱈目な強さが見所です。恥ずかしいぐらいストレートでヴァリエーションの無い戦法に暑苦しい魂の台詞群。これは古代ギリシア版
『男塾』ですよ。それもメインの達人集団じゃなくて男気と根性だけが頼りの一般塾生達が男塾名物の連係プレイで屠るという構図。率いる王様は男塾塾長・江田島平八まんまの威圧感。惜しむらくは「知っているのか雷電!?」パターンで解説する人材がいません。
対するペルシア軍は過剰に異形集団。巨大すぎるサイとゾウ・怪力巨人・仮面の忍者軍団・爆裂魔道士と、どうみても
『ベルセルク』かなにかの世界です。ビックリ人間大集合。しかも偉大なペルシア王はよりによってアクセサリーじゃらじゃらの妖艶なオカマですよ。イラン人が怒るのも当然の造形です。
これを観て「決死の特攻の意義」とか「滅びを美学の危険性」とか「愛国心を鼓舞」とか「民主主義vs蛮族」を云々する感性をマピールさんは持ち合わせてないです。男塾をモチーフに思想や政治を語るような痛い真似はできません。気楽に楽しめば良しです。
ストーリーが殆んど無いに等しい本作の肝はアクション・シーン。見慣れないファランクス隊形からの計算され尽くした連携、あまりグロくはないけれど容赦なく腕や首が飛び交う豪快な斬撃、美しい筋肉と高度な殺陣を観客にきっちり示すスローモーションの多用。ごちゃごちゃしてるだけに成りがちな大軍の乱戦をスッキリとまとめ、悲壮感の欠片もない勇壮な戦士達を見事に描きます。それを病的なまでの絵画的な色彩により壮大な絵巻物っぽい雰囲気にしたCG処理も素晴らしいです。
一方、戦場ばかりで飽きが来ないように挟まれたスパルタ王妃の男前なドラマは緊張感が途切れるだけであまり旨くありません。これなら脇役戦士のドラマを混ぜた方が良かったんじゃないかと。いや、デルポイの神託の巫女さんと共に乳首露出で頑張ったレナ・ヘディには申し訳ないんですが。まあ、そのベッド・シーンにしても『オペラ座の怪人』からは想像もつかないジェラルド・バトラーの肉体美に完全に喰われてるんですけどね。
この映画では戦争の背景や結末が詳しくは示されないのでちょっと調べてみると、ヘロドトスの『歴史』に記述される
テルモピュライの戦いが元ネタ。一応、神話じゃなくて正史に分類されるようです。100万vs300人は誇張にしてもカルネイア祭によって300人しか出兵できなかったスパルタ軍が無茶な徹底抗戦を敢行したって部分は史実通りなんですな。
尚、ペルシア戦争全体の流れは
こんな感じ。ラスト・シーンは奇跡的勝利となるプラタイアの戦いってことですな。この間にアテネとかは陥落してますがスパルタ本土は一貫して無事のようです。
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